「嚴島内侍の名前」
嚴島野坂文書121号 天文十年七月五日(新暦1541年8月6日)
手流内侍
嚴島野坂文書1893号 慶長十三年正月(新暦1608年2月)
﨟(ろう)とは年功による序列のこと。
手長内侍(てながないし)
諸所内侍
(註)原則厳島野坂文書のママ記載(例:宮熊内侍と宮能内侍)
参考文献: 「広島県史 古代中世資料編Ⅱ(厳島文書編1) 厳島野坂文書]
安芸国厳島神社の内侍は巫女で、神事のほかに、同神社に参籠する貴人の
旅情を慰めるために今様を朗詠したり舞楽などを行った。
平安末期、治承元年(1177)十月十一日(新暦1177年11月10日)平相国清盛が平家一門と厳島に参詣し、社頭において習礼・臨時祭・万燈会・千僧供養・一切経会・引声等の諸行事の模様を詳細に書き留めた「伊都岐嶋千僧供養日記」に12人の妓女が名を連ねている。
・黒内侍
・普賢内侍 ・文珠内侍 ・弥陀内侍 ・万寿内侍 ・多門内侍 ・釈迦内侍 ・千歳内侍 ・乙内侍 ・地蔵内侍 ・弥陀内侍 ・薬王内侍 |
嚴島野坂文書121号 天文十年七月五日(新暦1541年8月6日)
本内侍
三老(御子内侍)
四老 五老 六老 七老 八老 九老 十老 韓神内侍(からかみ) |
手流内侍
田内蔵助娘
田将監女房 飯田孫九郎女房
熊野刑部丞女房
河田内蔵助女房 難波左馬允女房
亀
南内侍 福松 植木内侍 紀伊 |
嚴島野坂文書1893号 慶長十三年正月(新暦1608年2月)
たかはやし
とくしゅ みこ 四りやう(老)
五りやう
六りやう 七りやう 八りやう
わごん
からかみ 田 いゝた
せん松
みやま おみや さいつる
きい
うへき みやつち たかい
ねゝい
いしだ あねい さいまつ
かなちよ
かわの |
嚴島野坂文書1894号 慶長十五年三月三日(新暦1610年4月26日)
たかはやし
四老内侍 五老内侍 六老内侍
七老内侍
八老内侍 田内侍 飯田内侍
和琴内侍(わごん)
から神内侍 高井内侍 みそへ(溝部)内侍
植木内侍
千松内侍 河野内侍(かわの) おミや内侍 きい内侍 さい鶴内侍 あねい内侍 宮槌内侍
御子内侍
かなちよ内侍 宮熊内侍 せん内侍 とく寿内侍 石田内侍 ねゝい内侍(寝々) |
江戸中期1697年成立「厳島道芝記」の「社家供僧内侍并諸役人神人之名の内侍」
の条に「八乙女」亦「本内侍」と称したことがみえる。
の条に「八乙女」亦「本内侍」と称したことがみえる。
一﨟内侍 号竹林
二﨟内侍 号徳寿 三﨟内侍 号御子
四﨟内侍 号田
五﨟内侍 六﨟内侍
七﨟内侍
八﨟内侍 |
手長内侍(てながないし)
和琴内侍
韓神内侍 高井内侍 石田内侍 飯田内侍 植木内侍 河野内侍 御添内侍 金千代内侍 才鶴内侍 千 内侍 千松内侍 才松内侍 宮松内侍 宮鶴内侍 宮 内侍 宮能内侍 宮槌内侍 河田内侍 姫 内侍 望月内侍 紀伊内侍 春 内侍 寝々内侍 梅 内侍 姉 内侍 地 内侍 |
諸所内侍
藤壷内侍
梅壷内侍 次郎御前内侍 霧内侍 妹内侍 |
(註)原則厳島野坂文書のママ記載(例:宮熊内侍と宮能内侍)
参考文献: 「広島県史 古代中世資料編Ⅱ(厳島文書編1) 厳島野坂文書]
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