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2024/11/22
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2011/05/16
「嚴島合戦後の嚴島キリシタン事情」

ガスパル・ヴィレラ(Gaspar Vilela)1525年(大永5年)頃にポルトガルのアヴィシュに生まれたとされる。イエズス会に入会し、1551年(天文20年)、兄弟らとともにインドのゴアに入り、司祭となる。1554年(天文23年)にはゴアを発ち日本へ向かった。
1556年(弘治2年)、イエズス会インド副管区長ヌーネス・バレトとともに豊後府内(現大分市)に上陸し、日本での布教活動を開始した。1558年(永禄元年)バルタザール・ガーゴ神父に代わり平戸布教を担当し、約1500人に洗礼を授けたが仏教徒と対立し、領主松浦隆信 (道可) により退去を命じられ、一時府内に戻った後、コスメ・デ・トーレスの指示を受け、京での布教を目指した。
翌1559年(永禄2年)、日本人の肥前白石(現在の平戸市)出身で、目が不自由で琵琶法師であったが、フランシスコ・ザビエルに出会って洗礼を受けたロレンソ了斎(ロレンソりょうさい)ら同伴者二人と京都入りを果たす途中、船は嚴島に碇泊(ていはく)した。嚴島合戦の4年後の事であった。
ガスパル・ヴィレラ神父一行は島内で唯一のある信者を知った。フランシスコ・ザビエルから山口で洗礼を受けたフェリペという老人とその妻で、キリシタン弾圧で山口から逃れ来たが十年間というもの神父にも会わず、貧困の中嚴島で過ごしてきたため、一行が自分たちの家に泊まることを非常に喜んだという。フェリペは自分たちがここに来て最初の数年は、地震や火事、夜聞こえる騒動、あの神社も燃え上がり、山も家も崩れるかと思われるほどであり、苦しめられたことを神父に話した。
1574年(天正年)、日本地区布教長フランシスコ・カブラルが京都へ行く途中山口に寄り、嚴島で八十二歳になっていたフェリペを訪問し一泊した。
 
 
参考文献 :「芸備キリシタン史料」H・チーリスク編著 吉川弘文館 1968年
参考Webウィキペディア 「ガスパル・ヴィレラ」最終更新 2010年12月9日 (木) 09:56、
                  「ロレンソ了斎」最終更新 2010年10月24日 (日) 04:50


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