「宮島ホテル懐古」
原爆ド-ム(かつての広島産業奨励館)を設計したチェコの建築家ヤン・レツルが設計し、大正6年(1917)に落成した宮島ホテルは、宮島観光を楽しむ外国人専用のホテルとして利用された。
戦後、昭和20年(1945)以後は連合軍に接収されて保養施設となっていたが、昭和27年(1952)8月27日に焼失した。
その後、海が埋立てられたあと宮島水族館が建てられ、向かいの宮島ホテルの跡地には、現在の国民宿舎「杜の宿(もりのやど)」が建っている。当時この一帯は立ち入り禁止と聞いており、大願寺から西へは寄り付いたことがなく、宮島ホテルが、海のそばに建っていたことをこの写真で初めて知った。
大元神社の手前の海際に建つ宮島ホテル.
(参考web: http://oirushock.exblog.jp/15475373 )
宮島ホテルの秘話
戦時中の昭和18年(1943)極秘任務を帯びたドイツ海軍Uボートの乗組員が来日し、宮島ホテルに宿泊したという。
乗組員はホテルから毎朝、隊列を組んで桟橋まで行進。船で大竹にあった海軍潜水学校などに行き、操縦方法を指導した。
(参考:朝日新聞 朝刊 広島13版 2013/8/18日曜日)
PR