「内侍方居屋敷」
嚴島野坂文書1917号 嚴島社社家内侍祝者屋敷付立(年号不詳)
(内侍方居屋敷) (所在町名)
竹林内侍居屋敷 久保
御子内侍居屋敷 久保
徳寿内侍居屋敷 瀧小路
四老内侍居屋敷 柳小路
五老内侍居屋敷 南小路
六老内侍居屋敷 南小路
七老内侍居屋敷 南小路
八老内侍居屋敷 南小路
わこん内侍居屋敷 南小路
から神内侍居屋敷 中西
せん松内侍 瀧小路
てん内侍居屋敷 南小路二有
みや松内侍居屋敷 大西二有
お宮松内侍居屋敷 瀧小路有
才鶴内侍居屋敷 南
きい内侍居屋敷 大西二有
植木内侍居屋敷 中西有
宮槌内侍居屋敷 南小路有
高井内侍居屋敷 中江有
ねゝい内侍居屋敷 瀧小路有
石田内侍居屋敷 中江
あねい内侍居屋敷
てん内侍居屋敷 南小路有
さい松内侍居屋敷 中西
いゝた内侍居屋敷
かなちよ内侍居屋敷 南小路
河野内侍居屋敷 久保
島内の町の区分
文政八年(1825)成立の「藝藩通志 巻十五」―安藝國嚴島三の
市街公廨(くがい)に島内の町の区分説明あり。
東町(本社より東の総称なり、其内左のごとくわかる、
大町―搭の岡ともいふなり
西町(本社より西の惣稱、且南町もこれに属す、その内左のごとく分る、
南町―奥に紅葉谷あり
瀧町―瀧の下流通ずる所、故に名となす、祠官及び社僧の居多し
中江町―陰徳太平記に、柳小路とあり
久保町―瀧町に属す
中西町―御子内侍小路、五間屋町、みな此町の内なり
大西町―大元に通ふ山路あり
戸口
家 千二十八戸
人 三千七百三十四口
西町 二百三十八戸、 千三百十人、 社人二百一人、僧五十人、
参考文献:「厳島神社門前町 廿日市市厳島伝統的建造物群保存対策調査報告書」
廿日市市教育委員会 平成19年
廿日市市教育委員会 平成19年
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