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2024/11/26
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2011/05/17
「嚴島内侍の名前」

 安芸国厳島神社の内侍は巫女で、神事のほかに、同神社に参籠する貴人の
旅情を慰めるために今様を朗詠したり舞楽などを行った。

 
平安末期、治承元年(1177)十月十一日(新暦1177年11月10日)平相国清盛が平家一門と厳島に参詣し、社頭において習礼・臨時祭・万燈会・千僧供養・一切経会・引声等の諸行事の模様を詳細に書き留めた伊都岐嶋千僧供養日記」に12人の妓女が名を連ねている。
・黒内侍
・普賢内侍
・文珠内侍
・弥陀内侍
・万寿内侍
・多門内侍
・釈迦内侍
千歳内侍
・乙内侍
・地蔵内侍
・弥陀内侍
・薬王内侍
  
嚴島野坂文書121号 天文十年七月五日(新暦1541年8月6日)
本内侍

 

三老(御子内侍)
四老
五老
六老
七老
八老

九老 
十老
韓神内侍(からかみ)

手流内侍

 

田内蔵助娘
田将監女房
飯田孫九郎女房   
熊野刑部丞女房
河田内蔵助女房
難波左馬允女房  

南内侍
福松         
植木内侍
紀伊

嚴島野坂文書1893号 慶長十三年正月(新暦16082)
たかはやし
とくしゅ
みこ
四りやう(老)
五りやう
六りやう
七りやう
八りやう
わごん
からかみ

いゝた
せん松
みやま
おみや
さいつる
きい
うへき
みやつち
たかい
ねゝい
いしだ
あねい
さいまつ
かなちよ
かわの
 
嚴島野坂文書1894号 慶長十五年三月三日(新暦1610426)
たかはやし
四老内侍
五老内侍
六老内侍
七老内侍
八老内侍
田内侍
飯田内侍
和琴内侍(わごん)
から神内侍
高井内侍
みそへ(溝部)内侍
植木内侍
千松内侍
河野内侍(かわの)
おミや内侍 
きい内侍
さい鶴内侍
あねい内侍
宮槌内侍
御子内侍
かなちよ内侍
宮熊内侍
せん内侍       
とく寿内侍
石田内侍
ねゝい内侍(寝々)

江戸中期1697年成立「厳島道芝記」社家供僧内侍并諸役人神人之名の内侍」
の条に「八乙女」亦「本内侍」と称したことがみえる。

 

一﨟内侍 号竹林
二﨟内侍 号徳寿
三﨟内侍 号御子
四﨟内侍 号
五﨟内侍
六﨟内侍
七﨟内侍
八﨟内侍
(ろう)とは年功による序列のこと。
 
手長内侍(てながないし)

 

和琴内侍
韓神内侍
高井内侍
石田内侍
飯田内侍
植木内侍
河野内侍
御添内侍
金千代内侍
才鶴内侍 
千  内侍
千松内侍
才松内侍
宮松内侍
宮鶴内侍
宮  内侍
宮能内侍
宮槌内侍
河田内侍
姫  内侍
望月内侍
紀伊内侍
春  内侍 
寝々内侍
梅  内侍 
姉  内侍
地  内侍

 諸所内侍

 

藤壷内侍
梅壷内侍
次郎御前内侍   
霧内侍
妹内侍

(註)原則厳島野坂文書のママ記載(例:宮熊内侍と宮能内侍
参考文献: 「広島県史 古代中世資料編Ⅱ(厳島文書編1) 厳島野坂文書]


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