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その昔(中世以前)は、洞雲寺の前あたりまで海が入り込み、佐方八幡宮の前
あたりが海辺で狭潟(遠浅の海の地形)となっていた。
江戸時代の初めに海岸線沿いの西国街道が整備され、その道路敷きが堤防
の役割を果たして、広い干拓地が形成された。
文政八年(一八二五)約180年前に完成の廣島藩領内の地理や歴史を記した
『芸藩通志』によれば、佐方 八幡宮は今から400年前に、毛利家より神田の寄
進があったらしい。