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廿日市の郷土の歴史・文化などの情報発信


2024/04/19
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2013/09/27
「近く創立百周年を迎える廿高の前身」

寛永8年(1631)以降、石州和紙の紙蔵としてここを中継して瀬戸内海を海路兵庫県室津まで参勤交代や特産の石州和紙など物資の輸送で往来していた津和野藩御船屋敷があった。

明暦二年(1656)には船入地移転が認められ、船入地・御船屋は、桜尾山北側で西国街道に面した位置に移転された。
こうして船屋敷は桜尾城址の西側にあり、屋敷の南側には船の出入りができ、物資の積み込みを行っていた。停泊時の船は御船入のある桜尾城址の東側の港に係留されていた。

津和野藩御船屋敷は明治4年(1871)の廃藩置県迄存続した。其の後、大正4年(1915)桜尾城趾西側の船屋敷跡地に佐伯郡立工業徒弟学校が開校された。


廿高前身徒弟学校

木工技術者を養成した徒弟学校はのち

大正11年(1922)41日 広島県佐伯工業学校と改称。
翌年には県立移管により広島県立廿日市工業学校と改称。
さらに昭和13年(1938) 現在地の桜尾三丁目に移転。

昭和23年(1948) 県立廿日市高等学校と改称。

昭和37年(1962)9月31日 工業科は新設宮島工業高等学校に統合、募集停止。

昭和39年(1964331日 全日制工業科廃止。

昭和43年(1968)101日 広島県立廿日市高等学校と改称。

平成25年(2013)現在、男女共学、学年制全日制課程と定時制課程となる。
徒弟学校から起算すると、2年後の平成27年(2015)には創立100年を迎える。 
 

徒弟学校


昭和39(1964)当時の学校風景
 



 


 

 


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