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廿日市の郷土の歴史・文化などの情報発信


2024/11/22
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2013/09/12
「厳島神主家の居城  桜尾城」

神主佐伯影弘の時代、隆盛を極め、仁安三年(1168)現在のような原型ができ、
こうして、平家一門の崇拝により厳島神の社運は盛大となっていった。

文治元年(1185)壇ノ浦の合戦で平家が滅亡したことは、歴史上大きな変革と
なり、神主佐伯氏の勢力も衰退し、厳島神社は承元元年(1207)に続き、貞応
二年
(1223)二度目の火災後は、12年もの間、神社の再建ができなかった。
そこで鎌倉幕府の御家人で周防の守護職であった藤原親実に神主職を譲り、親
実は神主職
(承久三年(1221)と安芸国守護職(文暦二年(1235))を 兼ね、
厳島神社は再建することができた。

親実はその後、周防の守護職に帰り、武田氏が安芸国守護職になる。藤原親実
の子孫は神主職を世襲し、承久の乱のあった承久三年
(1221年)から天文十年
(1541)4月5日友田興藤が桜尾城に火をつけ自決し、大内義隆により亡びる。

こうして、藤原神主家の滅亡まで、三百十年ばかり厳島神社の神主として、また
その神領地の支配のため、その本拠を桜尾城に置いていた。
 
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