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廿日市の郷土の歴史・文化などの情報発信


2024/05/06
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2013/09/14
「亥の子」

亥の子
十二支も最後の「亥」まで来れば次は新しい循環の始まり「子」に転ずる。
 
亥の月は旧暦10月(概ね新暦11月)

亥の刻は午後10時を中心とする約2時間

亥の方は北西よりやや北寄り(北西微北:北基準右廻り330°)の方角である。

「亥ノ日(ふた)ツ之時ハ初ノ亥ノ日、三ツノ時ハ中ノ亥ノ日」   旧暦十月初亥の日の亥の刻(午後9時~午後11時)に「亥の子の祝い」をし,無病息災・子孫繁栄を祈った。

旧暦10月(亥ノ月)で、亥ノ日が2回あるときは初めの亥ノ日の亥の刻(午後9時~午後11時)に、3回あるときは中の亥ノ日にお祝いし、無病息災・子孫繁栄を祈る習わしであった。

◆子供たちが地区の家の前で地面を搗(つ)いて回る。

亥の子餅
「旧暦十月亥の日に餅を食えば、万病を除く」


粒あんを胡麻入りの求肥の餅生地で包み、上からきな粉をかけたもの。

黄粉・胡麻・干柿を混ぜ込んだ餅製の生地でこし餡を包んだもの。
 
   各種亥の子餅例

の月、亥の日は「炬燵(こたつ)の日」
旧暦の十月は初冬である。だんだん寒くなり、武家も町屋も冬支度をする。

武家屋敷の「炬燵開き」は、旧歴十月の初亥の日(最初の亥の日) に、
「炉開き」をしていました。
江戸町屋の一般庶民は、旧暦の十月の二番目の亥の日が炉・炬燵開きです。


    炬燵開き」がなぜ「亥の日」なのか。
   

    旧暦では、月にも十二支(子、丑、寅、)が割り振られている。
   「旧暦の月の干支」表より、十月は亥の月である。亥の日の亥(イノシシ)は、
    火(火難)を免れるという信仰があった。そこから亥の月の亥の日に火(暖房器具)
   
を使い始めれば、その冬は火事にならないと信じられていたからである。

   (旧暦の月の干支)
   
一月 寅二月 卯.  三月 辰,  四月 巳,  五月 午,  六月 未, 七月 申,  八月 酉,   九月 戌,  十月 亥,  十一月 子, 十二月 丑,

『絵本常磐草』享保15(1730) 

こたつで本を読む女性たち

『江戸風俗図絵』(柏書房)より

http://www.cleanup.co.jp/life/edo/53.shtml

亥子突き

昭和40年代になると、亥の子歌の練習に夢中になり、宿題や勉強がおろそかになることなどから、学校が亥の子行事を禁止し廃れてしまった地域もある。
 

囃し唄(はしゃしうた)

「亥の子、亥の子、亥の子餅つかんものは、鬼生め、蛇生め、角生えた子生め、やっさが屁(へ)を煮え湯でたでて、繁盛せい、繁盛せい」


 

【広島県安芸郡 海田地区】
亥の子、亥の子、亥の子餅ついて、祝わんものは、鬼産め、蛇産め、角のはえた子産め、やっさの尻を煮え湯で焚いて、繁盛せえ、繁盛せえ

                                                                        

 
   亥乃子石

 

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