「下水道の歴史」
下水道の起源は、インダス文明の栄えた都市に遡るとされている。
●モヘンジョ・ダロの遺跡はB.C.3300~2700年のものと推定され、どの家の浴場も便所も陶製またはレンガ作りの「下水だめ」を通じ街路にある下水渠に連結されていた。
●メソポタミヤ文明の地バビロンではB.C.2200年頃、アッカド王朝の宮殿で下水溝が作られており、腰掛け式の水洗便所が発見されている。
●クレタ文明のクノッソスの王宮では、B.C.1700年頃のものと見られる腰掛け式の水洗便所が発見されている。
●古代ローマにはB.C.615年に築造されたローマ最古の下水道遺跡がある。この最古の下水渠はCloaca maximaと呼ばれ、ローマの7つの丘に囲まれたフォーラム谷の排水のためのものであった。ローマの水道橋も有名であるが、これより更に400年以上も古いものである。
●中世時代の下水道は、雨水は地下に浸透または蒸発あるいは自然の流れに任せていた。下水は道路上や溝に流していたため、病原菌の温床となりコレラ、ペストなどの伝染病が大流行したこともあった。
●フランスのパリでは1370年から下水道が敷設された。
●ロンドンでは16世紀から下水道の改良が始まり、雨水や汚水は管渠を通じて河川に放流されていた。
江戸時代以前の下水道
●弥生時代には、稲作技術の渡来などの理由により大きな集落が形成され、防御、用水、排水等を兼ねた水路が造られるようになった。
●古墳時代には、掘立柱形式の建物の屋根から落ちる水を受ける雨落溝が存在した。
●藤原京の時代には、かなり大規模な排水施設が存在した。藤原京は道路側溝が発達しており、その総延長は約200kmにも及ぶものであった。
●平城京においては、藤原京以上に大規模な都市となり、きちんと計画された道路側溝網が存在していた。
●平安時代には、高野山に水洗便所が存在した。これは、井戸水や沢水を用いた水洗便所で、排出されるし尿は有田川に放流されていた。
●安土桃山時代には、「太閤下水」と呼ばれる背割下水が存在した。これは、大阪城築城に伴う町づくりのひとつとして行われた事業であった。この一部は現在でも使用されている。
●主として雨水の排除を目的とした下水道整備は全国各地で行われていたが、やはり近代的下水道の登場は明治時代に入ってからのことであった。
参考Web:「国土交通省 下水道」http://www.mlit.go.jp/crd/sewerage/rekishi/index.html
(2011年5月4日(木)11:02)
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