「平清盛は「宮島」と呼んでいた?」
永暦元年(1160)八月一日、 清盛43 歳の時、武士として初めて正三位(しょうさんみ)の公卿に列せられると、 厳島神社への参詣という「宿願」を、およそ十五年も経ってから初めて果たします。その後は、広島県史では、二十年間に十回の参詣をするほど熱烈な信仰でした。
「厳島道芝記」(1697年成立)によれば、宮島は古くは「恩賀島(たぐいなきしま)」とか「伊都岐島」と言われます。 また此神の宮地(みやところ)の島なる故に称せる名とされる「宮島」はいつ頃から呼ばれるようになったのかは定かではありませんが、平安後期にあたる治承四年(1180)の「高倉院厳島御幸記」には、すでに「午(うま)の時に宮島に着かせ給(たまう)」と記されており、清盛も「宮島」と呼んでいたと考えられます。
永暦元年(1160)八月一日、 清盛43 歳の時、武士として初めて正三位(しょうさんみ)の公卿に列せられると、 厳島神社への参詣という「宿願」を、およそ十五年も経ってから初めて果たします。その後は、広島県史では、二十年間に十回の参詣をするほど熱烈な信仰でした。
「厳島道芝記」(1697年成立)によれば、宮島は古くは「恩賀島(たぐいなきしま)」とか「伊都岐島」と言われます。 また此神の宮地(みやところ)の島なる故に称せる名とされる「宮島」はいつ頃から呼ばれるようになったのかは定かではありませんが、平安後期にあたる治承四年(1180)の「高倉院厳島御幸記」には、すでに「午(うま)の時に宮島に着かせ給(たまう)」と記されており、清盛も「宮島」と呼んでいたと考えられます。
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