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廿日市の郷土の歴史・文化などの情報発信


2024/11/22
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2011/11/19
「・・・平清盛の少年時代」

平家物語 第2巻  3 西光被斬 (さいくわうがきられ)
 
そもそも御辺(ごへん)は、故刑部卿忠盛の嫡子(ちやくし)にておはせしが、十四五(じふしご)までは出仕(しゆつし)もし給(たま)はず。故中御門(こなかのみかど)の籐中納言家成卿(とうぢうなごんかせいのきやう)の辺(へん)に立ち入り給(たま)ひしをば、京童部(きやうわらんべ)は例の高平駄(たかへいだ)とこそ言ひしか。
 
『そもそも貴殿は故刑部卿忠盛の嫡子ではあるが、十四、五歳までは朝廷に出仕されることもなく、故中御門藤中納言家成卿のそばに出入りされておったのを、京童は例の『高平太』と、噂をしていたではないか。』
 
いつも高足駄の姿で播磨守家成の邸宅に出入りしていた平氏の太郎こと清盛は、「六波羅のふかすみ(墨黒の馬)の高平(たかへい)()の通るは」と(きょう)(わらわ)に噂されていた。
 
西光(さいこう)
藤原師光(ふじわらのもろみつ)。信西(しんぜい)に仕え、その没後出家西光と名乗る。御白河法皇の近臣として活躍。鹿ヶ谷(ししがたに)で平氏討伐を謀(はか)ったが、発覚して刑死。

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